許 皇后(きょ こうごう、? - 紀元前8年)は、前漢の人。成帝の皇后。宣帝の皇后で元帝の母である許平君の血縁者。
略歴 [編集]
彼女は大司馬車騎将軍許嘉[1]の娘として生まれた。
元帝は母の許平君が皇后に立てられてすぐに殺されたのを悼み、許嘉の娘である彼女を皇太子(成帝)の妃とした。その後しばらくして男子を産んだが早死にした。
皇太子が即位すると皇太子妃の許氏は皇后に立てられ、その後女子を産んだが早死にした。
皇后の父の許嘉は元帝の時から大司馬車騎将軍であったが、成帝は母王政君の兄弟である大司馬大将軍王鳳に政治を委ねることとし、許嘉を罷免した。
皇后は聡明で史書に通じ、皇太子妃であった時から皇后になって以降まで、常に成帝に寵愛され、後宮では他の者にお召しがかかることが稀なほどであった。皇太后や成帝の外戚たちは成帝に後継ぎがいないことを心配した。また当時天変地異が多く、劉向や谷永はその原因は後宮にあると述べた。成帝は同意し、皇后の宮殿の費用を削減した。許皇后は反対意見を上奏したが、成帝は劉向や谷永の進言を採用して反論した。
その後、日食などがあるとその原因を大将軍王鳳に求める者もいたが、谷永などは許皇后が原因だと述べ、許皇后は自分が王鳳に助けてもらえないのを知った。次第に許皇后の寵愛も衰え、後宮には他に寵愛される者も増えてきた。そんな折、皇后の姉の平安剛侯謁らが王鳳や妊娠した後宮の女性を呪詛していたという事件が発覚し、謁らは誅殺され、皇后は廃位された(鴻嘉3年(紀元前18年))。
その後、綏和元年(紀元前8年)、成帝は許氏を憐れみ、事件の影響で故郷や領国に還されていた許氏を都に呼び戻した。しかし、その年に許皇后の姉が王政君の血縁者である淳于長の妻になっており、そのつてで淳于長に倢伃に立てて欲しいと請託し、淳于長は「また左皇后に立てられるようにしてみましょう」と言って許皇后を欺き、許皇后より贈り物を貰うなどしていたことが発覚した。そこで成帝は廷尉孔光に節を持たせて許皇后に毒薬を賜り、許皇后は自殺した。
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